2012-12-08

村上教祖のありがたいお話

ときにあなた、誰を一番尊敬していますか?
僕はこの人。知ったのは数年前ですが、その雷に打たれたような直観は今でも続いています。


"商いをもっとリスペクトするような社会構造を作り、「商いは文化だ」という認識を浸透させないと、日本の文化は成長しません"

村上隆「世界で勝つには、勘・挨拶・執念」



アートが文化を担うものだということに異論がある人はいないでしょうが、そのアートの最先端の地で食っていっている彼が商いが文化だと言っているわけです。



■ 商いとしてのアート


数年前、彼の指摘によって、かつての僕の中にもあった「アート = 自由 = 資本の原理から乖離している」という方程式が実は間違っていることに衝撃をもって気付きました。なにが衝撃的かというと、自分の理解と真逆だったからです。大学生にもなってそれなりに分別もついたつもりで生活しているとまさか自分が真逆に理解している概念が存在するとは思わないですよね。それがあったんです。「あぁ! 世界は一つの法則の中で動いていたんだ!」と教えられました。

アートの世界って全く実用性のない商品を扱っているのにもかかわらず(いや、だからこそ)、徹底的に市場原理に即しているわけです。これはもうまったくもってピュア。「お金持ちが、何を欲するか」に best of 徹頭徹尾 as 完全最適化 ultimate edition. そこから僕たちが学べないはずはない。あまりにえげつないので欲望むき出しなので、僕たちからはその構造が見えやすくなっています。いえ、見えやすくプロデュースしているのですね、村上隆が。

「見えやすく」ってなんでしょう。要は分かりやすくしているんです。金持ちに「社会ってこんな歪みありますよね」という作品を提示して、そしてそれを買った金持ちは「おれはこの社会の歪みを理解しているんだぜ」ということを示せる。アートは、村上隆はその価値を売っているんです。ペインティングやインスタレーションだけでは抽象的で理解できませんが、村上は実に「分かりやすく」自分の作品を語ります。彼は自分の作品について説明できるのです(「分かる」瞬間は快感で、その快感も売っているのでしょう)。


"月の雫やサイゼリヤのような低価格帯の飲食チェーンの仕組みを批評的に語れるようにすることが大事です。さもないと、ウォークマンがiPodに負け、iモードがiPhoneに負けたのと同じようなことが起きてしまう"

村上隆「世界で勝つには、勘・挨拶・執念」



インタビューの中から引用すると上記の発言がそれに当たりますね。ものづくりの職人が言いがちな(実際は職人がそのセリフをいうことはなく周りのうるさい人が騒ぎ立てるのが世の常ですが)「いいものをつくれば売れる」では継続して結果を出すことができないのです。なぜこの商品が消費者に評価されたのかということを批評的に振り返れないといけない。



■ なぜ「AKBでクールジャパン」はだめなのか?


"政府は、「AKBをシンガポールに持っていった」とか「われわれは漫画の味方ですよ」といったアピールをしていますが、正直、国内でも海外からでも、そうした行動に賞賛は皆無であるという事実に着目するべき"

村上隆「世界で勝つには、勘・挨拶・執念」



批判的に振り返れないといけないのに、それが典型的にできていないのがAKBと漫画礼賛だというのが村上の主張でしょう。「なんか分かんないけどAKB売れてるから新興国に持ってきたぜ、お前ら消費しろよな」、「いつの間にか漫画がえらい実力あることが分かってきたんで、これどうぞ」。ここには "Why" がない。"Why" がないところに再現性はないのです。

誰もがそうですが「なぜ?」と考えるのはしんどいことなんです。目の前の "What" を見て、考えて、"Why" を導き出す。そのしんどいことをやれ、やり続けろというのが村上の言う「執念」でしょう。だって、アーティストの場合は考えて考えて考えて(ここまでですでにしんどい)、で、そこから作品にしなければいけないわけですから(もう正気の沙汰じゃやっていけないでしょう)。作品にするということは、他の "Why" の知見から得た今の時代の流れを、具体的なモチーフや制作方法という "How" に乗せて(ここで気を抜いてはだめですよ、「質の高さ」がないとオークションの壇上にまで登らせてもらえないわけですから)、崩壊させずに、"What" にまで着地させる(パチパチパチ)。

普段そこまでやっている村上からすれば外来語の「クールジャパン」に載せられたAKBや漫画の軽率っぷりに彼の怒髪が天を突いてしまうのもむべなるかなといったところ。