2013-10-19

カジュアルリーディングで本を読むハードルがぐっと下がって読書が習慣化してきた話

僕がこれを明確に意識してやりだしたのは大学2年生のころからだが、かれこれ 3, 4 年この習慣が続いたことになるので、ちょっと紹介しておきたい。

なんのことはない話だが、要するに読書を習慣づけるためのポイントは「本は読むのに時間がかかるものなのでそこは諦めて、むしろ時間をつくるようにする」というのと、「もっとカジュアルに読書する」という2点だ。



最初で最大の一歩は時間の確保


本を読む習慣をつけるのに最も重要なポイントは時間を確保することだ。この3年間で分かったが、本を読むという行為は実はものすごくハードルの高い行為だ。本自体を買うのにお金がかかるのはもちろんだが、何より読むこと自体にかなりの時間が必要というのが大きい。

なので、この厄介な行為を習慣をづけるには相当な決断が必要だった。僕は本を読む時間を確保するためには他の何かをしている時間を捨てなければならなかった。



僕が捨ててよかった「時間」ベスト3


僕は本を読む時間を確保するために「時間を捨てる」ことにした。この3年間で実践してみて分かった、僕が捨てることにしている時間で、おすすめベスト3を紹介する。

  1. テレビを視聴する時間
  2. 夜、飲みに繰り出す時間
  3. 休日に誰かと過ごす時間

最もやってよかったのはテレビの視聴時間を捨てることだ。僕は18歳のときの大学入学以来、これを実践して6年になるが、これが最もおすすめの時間の捨て方だ。この6年でもし僕が1日1時間テレビをみていたとしたら、3か月分 (寝ずに、ぶっ続けで90日だ) 時間を失っていたことになる。

次に、夜飲みに繰り出すのをやめた。夜に飲みに行かないというのは、そんなに極端な話ではない。つまり毎回誘いを断ったわけではない。何か金曜の夜には飲みにいかなければなれないという恐怖観念のようなものがあったので、それをなくしただけの話だ。

飲みに行くのをやめてみて気づいたが、飲み代を稼ぐためのアルバイトなどの労働時間がいらなくなるので、時間の確保としては「一石二鳥」になる。

そして、休日に誰かと過ごすのをやめる、というのも同じで、休日は誰かと一緒にいないといけないという恐怖観念のようなものがあったので、その発想を捨ててみた。何より、読書は一人で行う行為だから、誰かと一緒にいる時間をやめるのは意外と重要なのだ。

以上、3つの時間を捨てる方法を紹介した。この3つの時間は今もゼロにしているというわけではなく (そのつもりもないが)、ちょっと捨ててみるというところから始めて、なだらかに波を描いている状態だ。これが積み重なって、テコの原理のように大きな効果になってきたなぁという実感はある。

蛇足だが、睡眠時間は捨てないほうがいいと思う。

余計なお世話だが、朝4時に起きて睡眠時間を削って読書してますっていうエピソードを聞くと、苦々しい気持ちになる。



カジュアルリーディング


長かったが、ここまででやっと「本を読む時間」を確保したことになる。まだ本のカバーに触れてすらいない。しかし、「本を読む習慣をつける」という観点でいえばもう十中八九、目標達成をしたといっていい。

さて、時間の次に障壁になることはなんだろうか。それは僕の場合、モチベーションだった。

このモチベーションに最も効果的だったのは「多読」だった。「多読」と聞いてウゲッとなった人にこそ聞いてほしいが、多読に必要だったのは「カジュアルリーディング」だった。カジュアルリーディングとは「気楽に本を読むこと」、つまり、読書のハードルをとことん下げることである。



本を貴重品にしない


カジュアルリーディングの実践のために、僕は本にまつわる固定概念を外すことから始めた。

まず、やってよかったのは「ウェブブラウジングするように読むように本を読む」という方法だ。本は、別に最初のページから読んでいかなくてもいい。国語の授業には一文一文を丹念に追っていくことが多かったためか、僕にはその習慣が残っていたが、それをやめた。以前は一文につまずいたら意味をとらえなおそうとして前に戻ったりして、そのうちに疲れてしまっていた。なのでそれはやめて、書いてある要点だけ理解するようにした。要点といっても現代文のように「接続詞に気を使って」みたいなクソの所業のことではない。もっと、自然に、そう、ウェブブラウジングするように。本は貴重品ではない。2ちゃんねるのまとめサイト、NAVARまとめと同等だと思っている。

書いてあることが自分の思っていることと違うとストレスがたまる人もいるかもしれない。その気持ちも分からないでもない。「無料のウェブならともかく、せっかくお金を出して買った本がまるで便所の落書きのようだ」というような意見だ。しかし、それも本に過剰な期待を込め過ぎているというものだろう。本は貴重品ではない。すべてがおいしい本なんて、ない。むしろ自分の気に入らないことにこそ、積極的に触れていくべきなのでは。同じ意見の人が複数人いてもあまり意味はないのだ。

本に過剰な期待を込めすぎている人によくある反応が「せっかく本を読んだのに知っていることばかりで失敗した」というものだ。これも本に過剰な期待を込めすぎている良い例だろう。確かに名著というものは存在するが、万人にとっての名著は存在しえないので、諦めてもっと本を「とっかえひっかえ」すべきだ。



失敗を恐れない


「本が読めない自分」「おもしろい本を発見できない自分」にガッカリするのはやめた。いちいちそんなことに気を病むのは全然カジュアルじゃない。

律儀に1冊の本を読みきらなくてもいい。読みかけの本がたくさんある状況は、なかなかに楽しいものがある。気分転換をしながら複数の書籍を並行して読むのも、僕は結構やっている。

かなり割りきった方法として、目次から気になる部分だけをつまんで読んでしまうというのがある。読書の cherry-pick だ。これはかなりカジュアルな部類の読書だ。素晴らしい。



習慣化のビッグバン


カジュアルリーディングで気軽に読書しているといつのまにか結構読書していることになる。そうなってくると日常に少しづつ変化がでてくる。

「あっ、このトピック、あの本で読んだやつだ!」という瞬間がやってくるのだ。そうなってくるともうお手の物で、モチベーションがもうやばい。それが「読書スパイラル」のはじまりで、まごうことなき読書の習慣化のビッグバンである。

人間は賢いので (愚かだから (?)) 「よかった」と感じたことは繰り返そうとする。だから「あの本を読んでよかったなぁ」と感じられれば、もうお手の物なのだ。ただ、この過程は逆ではありえない。つまり、「"この本を読んで良かったなぁ" と思うためにこの本を読もう」という判断は不可能なのだ。

これは僕たちが未来を予測できないということと同じだ。僕たちは未来を予測できるほど賢くない。そうであるならば、「この本を読んで良かったなぁ」のために僕達にできることは「多読」であり、カジュアルリーディングはそのためにあるのである。



子どもに習慣化させたい場合


ここまでで本を読む習慣をつける方法の紹介は終わりだが、番外編として、「うちの子どもに本を読む習慣をつけさせたい」というお父さんお母さんに言いたいことがある。

僕の昔話になるが、母が絵本の読み聞かせを熱心にやっていたらしく、僕は幼少期から活字には慣れ親しんでいた。だから今も活字には愛着があって、読書の習慣もあるのかもしれない。だから、読み聞かせはおすすめだ。

本当は本を読んでいる背中を見せるのが理想なんだろう。しかし、それはカジュアルじゃないよね。ということで、絵本の読み聞かせおすすめ。

僕の父母に読書の習慣はなかったが、おそらく絵本の読み聞かせのおかげで僕は本を読む子になった。



僕の場合は1か月に 5, 6 冊


えらそうに書いてきたが、僕はそれほど「本の虫」ではない。読書量も、漫画を除くと、だいたい月に 5, 6 冊程度だ。ただ、ゆるやかに読み続ける習慣はできていて、自分としてもそれなりの知見は蓄積されていると感じているので、こうして blog してみた次第だ。



おまけ: 「本を読むこと」そのものを扱っている本を読んでみよう


僕は今では、本をあまり読んでこなかった人と本屋に行くと、彼らが恐ろしいほどセンスのない本を選んでくるのを知っている。だからもしあなたがあまり本を読んでこなかった自覚があるならば、僕に1冊本をおすすめさせてほしい。


小飼弾 本を読んだら、自分を読め 年間1,000,000ページを血肉にする〝読自〟の技術
本を読んだら、自分を読め 年間1,000,000ページを血肉にする〝読自〟の技術


第一撃目にこの本を推薦した理由は、「本を読むこと」の良質なガイドになってくれるからだ。おすすめ本がたくさん書いてある本などは書店にもたくさん並んでいるが、「本を読むこと、そのもの」を扱っている本はそんなにない。そしてそんなにない中でも、この本は特におすすめだ。

1か月後くらいに「あぁ、あの本読んどいてよかったな」と思えるように、この本を読みましょう。



あとがき


ということで、上記ツイートをみて、本を読む習慣をつける方法を紹介してみた。