Guilty or Not
プログラマーの仕事にはさまざまなタスクの自動化があります。
そしてその自動化が他人の食いぶちを奪っているのも間違いないでしょう。
ではプログラマーは他人の職を奪っていることに罪悪感を抱くべきでしょうか?
僕はプログラマーの仕事が他人の食いぶちを奪っていることに自覚的である必要はあっても、それに罪悪感まで覚える必要はないと考えています。
プログラマーだけではなく、すべての「他人の食いぶちを奪っているひとたち」がそうです。
非があるのは、職がない状態が問題になってしまう社会の仕組みそのものです。
その意味では、プログラマーにもそういう社会を受け入れているという責任はあります。
現在の社会の状態を解決すべきであると考えるのであれば、「職がなくても大丈夫な社会にしよう」とメッセージを発信し、アクションを起こしていく責任はあります。
ただそれはことさらに「他人の食いぶちを奪っているひとたち」だけが負う責任ではありません。
Back to the Athens
僕たちは、18世紀のイギリスで工業化が始まって以来働きづめで、ある種の勤労精神が骨の髄まで染みついています。
細かな文章は覚えていませんが、『バカの壁』でも「宿の台帳に "無職" と書くことは働かなくても食っていける不労所得者であるということであり、社会的な信頼が得られていた」というエピソードが紹介されていました。
僕たちは、いつしかその "無職" へのあこがれや信頼を失っていたのです。
働かなくても食っていけるようになるためにがんばって働いていたら、いつのまにか働かないことが怖くなっていたということです。
なんとも皮肉ですね。
古代ギリシアの都市アテナイの市民は、いわゆる勤労はしていなかったといいます。
もちろんそれは特権であり、市民の倍以上いる奴隷や、それ以外の地域を搾取することで成り立っていたのでしょう。
Computer as a Servant
いま、僕たちは、アテナイの市民になる機が熟しつつあります。
人類の叡智が生み出した機械やコンピュータがアテナイの奴隷となりつつあるのです。
さて、ここで冒頭の問題に戻りましょう。僕たちは他人の職を奪っていることに罪悪感を抱くべきでしょうか?
答えは No です。
他人の職を奪うすべての仕事に、何ら非はありません。
非があるのは、職がない状態が問題になってしまう社会の仕組みそのものなのです。
職がなくても大丈夫な社会にしていきましょう。
同僚との飲み会での話題より