2017-02-23

『悪童日記』でフランス語が勉強したくなった話



はじめに断っておくと『悪童日記』は傑作で、その読者の引きずり込みかたといったらシリーズもののTVドラマのそれに近い。そして読後の余韻はTVドラマを上回った。読後にはこの本を原書で読めるようになるためだけにでもフランス語を勉強したいとすら思った。母語ではない言葉でこれを綴った筆者に報いたいという思いに駆られたからだ。

そして、本書に続く『ふたりの証拠』および『第三の嘘』は著者アゴタ・クリストフのテーマを掘り下げた作品である。彼女のそれを受容したい者だけが読めばよい代物で、あえていえば読まなくてもよい。むろん、続きが気になるひとは私なんかに止められても勝手に読むだろう。そんなところがまたシーズンを重ねるTVシリーズとそっくりである。




白状すると私は全然小説を読まない。SFは教養だと思って読まないこともないが、小説は信頼をおくひとにおすすめされれば読む程度でしかない。それを断ったうえで述べると、『悪童日記』は今まで読んだ小説の中でダントツでおもしろかった。

本書はあくまで亡命文学であり、フィクションではある。続編はそれを強調してすらいる。しかし、どう考えても「事実は小説より奇なり」めいた力強さというか、著者の出自と重ねあわせて読まないわけにはいかない。訳注で事実関係の整理すらされる始末である。そういった事実に裏打ちされたストーリーという意味で『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』なんかを連想してしまう。戦時中、敗戦国に住まう「弱者」たちはどう生き延び、どう死んでいったのか。そして、どうありたかったのか。淡々と苛烈な「事実」を羅列する文体がそれを際立てる。子どもたちが直面したモラルの退廃もあっけらかんとした筆致で描写する。

そして、まさに一心同体としか言いようのない双子の兄弟「ぼくたち」が、とある事態に際して一心同体状態を自ら解く。激烈に感動する。

この本で人生が変わる人が少なからずいるに違いない、そんな一冊だった。



さて、勢い余って注文した原書版がフランスから発送中なのであるが、どうしたものか。